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意識の全体像が見えた時

初めての東京でのお話会が無事終わり、少し呆けた2日間を過ぎてやってきた不思議なエネルギーワーク。
それは私たちの潜在意識の深い場所にある相当重い記憶が溜まっている場所に、それらが源に帰るための道を通すというもの。

実は今年の3月20日に私は「謎の儀式」を受けることになってある場所に行くのだが、それがなぜ必要だったのかがこのエネルギーワークが降りてきて繋がった。

だけどその後、私は「意識」というものの全体像を知ることになって、その後、強烈な無力感のエリアに入ってしまった。

「アセンションさえも幻想だった」

意識の全体像を理解すると、それがわかってしまった。

上がっては下がる粒々のダンス。素粒子のような何かが起こすその動きが、私たちの全てを作り出す。
物質世界と言われる三次元も神様たちの領域も幽霊さんや先祖の世界も。

いわゆる臨死体験さえもそれは意識の世界を超えたわけではなく、本当の死とは言えない。
ただ意識の世界の特殊なところを通ることになっただけ。
愛さえも「愛」を感じている時点で、意識の世界の内側に止まっている状態で終着点ではないような気がした。

「死」とは、この意識の世界を超えたところにある。

そう思った。

「死」は体験しないとそれがなんなのかは究極はわからない。でも本物の「死」とは意識の中にはない気がした。
だとしたら、先祖やさまよう魂たち、天使や仏や神様たちも、全ては「私」という意識の別の姿でありカケラなんだ。
だからそこの世界で起こるとされるいわゆる「アセンション」も、ただのストーリーであり意識の外側では存在しない。

「意識」

それを俯瞰する場所に入った途端感じた無気力とどこまでも広がる広がり。
ここは意識が来る場所ではないのかもしれない。
いや、時々入って自分のこれからを確かめる場所なのかもしれないとも思う。

数日前から私はこれまで飲んでいた一切のいわゆる「サプリメント」を飲むのをやめた。
それまでやっていた運動もやめた。

サプリを飲んだり運動したりする行為は、多分私がこの現実の「意識」の中に入るための儀式のようなものなのだ。
映画「マトリックス」でネオがサプリを飲むシーンが蘇る。

そうか、そういうことか。

いや、面白いじゃないか。

やってやろうじゃないか。

そう思って、今朝は数日ぶりに「ビタミンB」を飲んでみた。

最高に楽しい現実に、
また私は性懲りも無く戻るんだ♪

春、最高🌸

この文章を書いていると、だんだん元気が戻ってきました😁
生きるとは不思議な行為だなと思います。

結局は、全ては幻想なんだけど、それをどうするのかは個人個人の自由でその選択ができるのが「意識」という世界なのだと思います。

時々、こういうどうしようもないところにハマってしまうアトリエkeiでした😅

4月1日はやっぱり新しいスタートなのだろうなと思います✨

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