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改めまして・アトリエkeiの始まりについて

2016年からコツコと続けてきたエキサイトブログを閉じて、2022年ワードプレスのこのサイトを立ち上げた時、このページがどこまで皆さんにみていただけるものになるのか、正直不安でした。

けれどYouTubeのおかげもあるのか、気がつけば、ページビュー数もアトリエkei的には「むっちゃ増えてるやん✨😆」という数になってきて、また最近、かなりいろんなものが外れて重さがとれたためなのか、しっかり活動していこうなんて気になっています。

そこで、改めて私のそもそも「なんでスピリチュアルなんかに目覚めちゃったのか」という話をここでまとめて載せておこうと思います。

古いエキサイトブログの記事をそのまま載せていく形にはなりますが、外部リンクに飛んだ上、広告いっぱいのエキサイトブログで読んでいただくよりスムーズでストレスなく読んでいただけるのではと思っています。

「そもそもこの人どんな人?」とご興味を持っていただけた方や「人がスピにハマるきっかけ」などにご興味のあるかたは一気読みページなので長くはなりますがよかったらお楽しみください😁

目次

アトリエkeiがアトリエkeiになるまでの話

自分の話①

そもそも、なんで私がこんな状態になってるか、なったかっていうことを少しづつ書いてみたいと思う。
どれだけ長くなるか、まとまるのか、それはわからないけど、思いつくままにって感じで書くので、途中でまたいろんな話も割り込むかと思うのだが、よかったらお付き合いください。

私は元々はいわゆる一般にイメージする「霊感」っていうものは、全くといっていいほどなかった。

小学生の時は、午後4時に女子トイレに現れるとされた「パンチパーマをあてたババアの何か(幽霊かも定かではない)」通称「4時ババ」なるものに半分はしゃぎ半分本気で怯え、4時ごろになると、ターゲットにした男子の上履きを女子トイレに投げ入れる無邪気な男子たちのいたずらを呆れながら笑い転げながら見ているのが日常で、中学生のころには「霊感」というものがこの世には存在することをしり、それを持っている同級生がとにかく「特別」に見え、夏になると、放課後その同級生に体験談を聞かせてくれとみんなで囲んだり、どこからともなく回ってくるオカルト漫画を怖いもの見たさで読んだりはしたが、高校、大学と上がるにつれ、「オカルト」よりも「占い」なんかに興味が移っていくという、ごくごく普通の成長を遂げたと思っている。
それから、社会人になって、「占い」は当たらないことを痛感し、年を取るごとにその手のことは当てにしなくなっていく。

ちょっと変わった思い出があるとするなら、小さいころに見ていた夢。
まだたぶん2~3歳?もしかしたら4歳ぐらいかもしれないが、その頃頻繁に見ていた夢があった。
とにかく頻繁に見るその夢は、いつも必ず顔を何かに「ぎゅうー」っと押し当てて目が覚める。
夢の中で、私は金髪のお下げの少女で、丘の多い土地の原っぱの中に建てられた粗末な小屋の周りを囲む柵に内側から外側に向かって顔を押し付け、その小屋を離れていく荷物をまとめた荷台を引く馬車と、その馬車の前の席に座る面影の薄い女性と後から続く数人の人を食い入るように見ている。
不思議と感情はなく、ただ何かショックなことが起こったことだけは分かるのだが、それがまだ「ショック」だとは認識できない年というか、ただ強くその場面を目に焼き付けるためにそうしているようにも感じるし、それがこの子の「覚悟」のような感じもした。
子供心にその夢がなんともいえない感覚で不思議だった。
子供だった私はその夢を「顔を何かに押し当てると見れる夢」だと思った。そして、なんとなくその夢を見ることで何か「満足」していたようにも思う。
ところがある時、以前のようにその夢を見ない自分に気が付いた。
それで、不思議に思って、お昼寝の時に思いっきりそばにあったタンスに顔を押し付けて寝てみたのだが、期待に反して全く見れず、以来ぱたっとその夢を見なくなった。

今思うとこれはちょっと前に前世の話で紹介した私の前世の「職人になりたかったけどなれなかった女性」の子供時代だと感じている。

この夢と、大学受験の時に一度だけ寝ていて体験した「疲れすぎ」のせいだろうということであまり気にしなかったプチビックリ体験ぐらい。
これも今思えば結構リアルな体験だったのだが、それが「リアル」なんだということが分からないくらい経験がなかった。

ところがそんな私が、ジュエリー作家として仕事を始めてから、不思議な夢をよく見るようになっていく。
そしてそれは「ホオポノポノ」によって、更に増え、2014年の暮辺りから急カーブを描くように不思議な夢が爆発的に増えていくことになる。

自分の話②

手仕事を職業にすると決めてから、それまで全くいわゆる「霊感」というものに縁のなかった私が、よく奇妙な夢を見ることになった。
おそらく、手を使って仕事をするということは、現代生活の中で鈍くなっている感覚を知らず知らずのうちに活性化させることになったのだと思う。
それが結果的に第六感を鍛えていくことになったのだと思う。
ただ私の場合、不思議な体験は夢がほとんどだった。起きている時は、全くと言っていいほど何も感じない。
今でもまあ前よりはわかるが、敏感な人に比べたら全然って言ってもいいだろうと思う。
変な夢を一つ一つ説明しててもきりがないので、大まかにタイプ別に分けてみようと思う。

まず、手仕事によって感覚が敏感になってきて、よく見たタイプの夢が、私の意識の中に全く違う自分ではない何かの意識が入ってくる夢。

私ももちろん普通の夢もよく見る。これは、自分の脳が働いているので、脳がカチャカチャ動いているのが分かるというか、いつも何かの日常の延長のような感じの夢で、日常考えるようなことを夢の中でもずっと考えたり心配したりする夢なので、起きたときは「あー、また夢見てたな~」と自然。
ただ、自分の意識の中にほかの存在が入ってくる夢は、必ず、この普通の夢を中断してやってくる。

突然、その存在を私が察知して意識が覚醒する。
でも目が覚めるわけではなく、寝ている状態なのだが、ちょうど現実と夢との間のような感じで、この時に入ってくる意識が、友好的なものであれば、とても心地よく温かいのに、ネガティブなものの場合は必ず「金縛り」になってしまう。

大抵、「扉」から入ってくるので、この「扉」が私の意識の入口で、この扉に気が付いて入ってこられると、後者の場合はとても厄介で、感触なんかがとてもリアルなのと、エネルギーを消費するというか、吸われる感があって、とにかく疲れる。

大抵「気合」で吹っ飛ばすのだが、初めのころはどうしていいかわからず、気が付いたら「おばあちゃん!助けて!」と叫んで目が覚めたりしていた。
「気合」っていうのも、「怒り」に近い。「いいかげんにせんか!おら=!!」となると大抵は吹っ飛んで目が覚める。

それから、もう一つが、これは私自身が全く別の世界に行く夢。
この夢もなんとも不思議で、説明が難しいのだが、とにかく、現実の世界にとても似ているんだけど、何かが違う世界。近未来的な感じもする。

今いろいろわかって考えて見ると、おそらく、私たちの現実のすぐ上くらいに存在しているパラレルワールドの一種だと思う。このパラレルワールドにもいい感じのとそうでもないの、それから、現実の私の生活とそっくりだけど、ほんの少し違う世界も体験している。この場合は本気で「目が覚めた」って思ってるんだけど、実は違ってびっくりすることになる。

とにかく、いろんな世界に行くのだがその中でも繰り返し多少シチュエーションが違うけど何度も見るというか行く場所があったり、一度も見たことないはずなのに、物凄く懐かしくて、なぜここの場所のことを忘れてたんだろうと感じたり、一度天の空にある寺院に修行みたいなのをしにいったこともあった。

これらの夢の特徴は、とにかく「リアル」なこと。時には、空を自在に飛んだりするのだが、その浮遊感、風やその風がほほを撫でる感触や、物を触った時の感覚、そういったものがまるで本当に体験しているかのようで、
特に視覚の感覚がとても鮮やかだったりする。
で、これも不思議なんだけど、帰ってくるときは大抵、列車に乗ったり、特別なトンネルのようなものをくぐったりした後に目が覚める。
目が覚めたと時はしばし茫然とする。

そして、もう一つが、これはホオポノポノをやるようになって、見るようになったもので、「前世」の夢。
この夢は、ほとんどが自分が全く知らない人になっていて、それなのにその人物になりきっていて、その夢の間は「現在の自分」はそこに全く存在しなくなるか、まるで映画を見ているように展開する物語を外側から見ているかのどちらか。ほとんどの場合音楽がなっていて、大抵がノスタルジックな雰囲気のするどこかで聞いた邦楽だったり、クラッシックだったりする。

全くユーミンのファンでもないのに、何回かユーミンの曲がなっていて、「ユーミンの曲と声は日本人の古い記憶を揺さぶるからヒットするのかな~」なんて、ユーミンの歌がヒットする訳を知った気がした^^;
この夢を見る時は、起きたときに「あー、前世の夢だ」と根拠なくわかってしまう。

そんな摩訶不思議な夢をたくさん見ていた私だが、これを例えば友達に話したことはほとんどなかった。
だって「夢」だから。

「そんなのただの夢でしょ?」って言われたら、「はあ、その通り、ただの夢です」っていうしかないし、「前世」の夢って言っても、特に有名人の前世でもないので、人に言っても面白くもなんともないっていうのもあるし、なにより、こんなに体験すると、特別感もなくなり、わざわざ人に話す気がしないというか、あくまで自分の中で「そんな不思議なこともあるのかもね」ぐらいで済む話だと思っていた。
そして、こんな感覚で、自分の不思議体験と向き合う自分が何より「常識的」だと思ってたのです^^;

自分の話③

2014年暮れから2015年初めにかけて、私のストレスはすごかった。
どんなことが起こったのか、具体的に書くのもありなのかなとも思う。けれど、今生きている人のことを生々しく書くことはその人の人生もあるので、なるべく控えたいと思っている。

このブログに書くことはあくまで「私」という個人の事。登場人物がリアルじゃなければ、伝わらないこともあるかと思うのだけど、許してもらいたい。

私の家はストレスの多い家だった。問題の多い家。気が休むことのない家。一見外から見れば、普通に見えたと思う。私は「普通」「真面目」が代名詞だったし、何よりも「普通」でいたかった。
家でどんなに問題が起こっても、しんどいことや辛いことが起こっても、私は我慢した。
だってそれはいつか終わるから。いつか私はこの家を出て、問題を起こす人たちからは永遠に遠ざかることができる。そう信じていた。「自分さえしっかりしていれば大丈夫」そうも思っていた。

ただし、この家に「愛」がなかったかというとそんなことはない。私はしっかり「愛」をもらって育っていた。ただ、「完璧に普通」では全く無く、それが不満だったりそのことを周りの人に知られるのが怖かった。
とにかく「理想」の高い子で、常に不満だった。自分にも家にも。

そして、自分や自分たちにはないものを普通に持っている人たちが心の底からうらやましかった。

ところが、結局「好きなことを仕事にする」ため、しかも「手仕事」という「モノ」になるまでに途方もない時間がかかる道を選んでしまったために、当初予定していた「家族よさらば~!!」ということには全然ならなかった^^;
ただ、私も仕事を通して成長し、ある意味「大人」になり、根底に子供時代からの「不満」を隠し持ちつつ、自分の置かれた状況は見ようによっては恵まれているということも認めるようになっていた。
けれど、この間、家の問題はどんどん悪化していくことになる。

「家族と真剣に向き合わねばならない」、そう思わせる事件が6年前、ちょうど弟が我が家に戻ってきた直後に起こった(この時も弟が家にいたから何とかなったんだけどな)。
この時私が体験したことは「人の魂とはこんなにも美しいのか」と思わせられることだった。

とんでもない奴だと思ってた人の中にはこんなにも美しい「魂」がある。
そして自分が嫌がっていたこの家族は、どう転んでも自分の家族で、しかも皆「生きるのが下手」というだけで、心は綺麗。

それだったら、自分が何とかしよう。未来永劫続くかもしれない「責任」を引き受けよう。
一つだけ、心から「好きだ」と思うものをすることが許されるのなら、他の全てを我慢しよう。これからは自分のできることをやろう。そう心に決めてフワフワと胸にあった「家族よさらば!」の夢をきっぱりと捨てた。
そうしたくても、できなかったっていう面もあるんだけどね((笑))

そうして私は私なりに奮闘し、少しづつ前進しているかのように見えた。
ところが、今振り返ると、ここにはたくさんの「間違い」があったんだよね。。それをいちいち上げてたらきりがないし、全てが必要だったっていう高い視点ももちろんある。
ただ、これで前進しようとするのはエネルギー的に無理な話だったのだ。。
私の頑張りに反して、2014年から家は急激に状況が悪くなっていく。
そしてそれは、私の中にあった「頑張れば報われる」とか「神様は見ていてくれる」とか「思いは伝わる」とかそういう、「美しい格言」を見事にぶっ壊していった。
「なんかおかしい!!!!なんかがおかしい!!!なんで?なんで?なんでこんなことの繰り返しなの?!!」
そして私はついにぶちぎれた。神様に。仏様に。そして何よりも自分の人生に。

自分の話④

2015年に入り、ついに私は自分と神様に切れた。

どう考えても理不尽だった。どんなに「いい子」に徹しても、状況は悪くなるばっかり。
というか、正確には、表面的な「前進」を餌にどこまでも忍耐と我慢を迫られて、一向に心の平安に辿り着けない。
それはまるで人質を取られて過酷な強制労働させられている気分で、しかも時々目の前でその人質をなぶられるのを目にしながらも、反抗したらもっとひどい状況になるからと歯を食いしばってみないふりをする。そんな感じだった。そんなこと、最初の予定ではありえなかった。
人が持っている美しさを信じての「決意」だったのに、その土台にしている部分がどんどん崩されていく。地獄のようで信じられなくて、情けなくて涙がボロボロ出た。

切れた私がまずしたことが、これまで「引き寄せの法則」などの自己啓発本で仕入れた幸せテクニックを投げ捨てることだった。
これまで頑張って何とか前向きに考えていい状況を引き寄せようとした。何度も何度も頑張った。

けれど、ちょっと期待させるだけさせて一向にいいことなんて起こらない。
「もうやめた!!!!!」「だって!おかしいもん!!!腹が立つもん!!!どう考えたっておかしいよ!!」

「自分は怒っている!!!」そんな気持ちを初めて認めた瞬間だった。

そして、まずは「怒ってみる」ことにした。徹底的に。
ただし、不思議なもんだが、自分がやりたいように徹底的に「怒る」っていうのは人がいるとできないものなのだ。
なぜなら人がいるとその人が「反応」するから。そしてその反応に私が「反応」し、少しづつ当初の予定軌道からずれていく。これでは「思いっきり怒りたいように怒った」ことにはならない。
それから「恥ずかしい」っていうのもある。「怒りたいように怒る」っていうのを初めてやるなら、それは自分でも見たことが無い自分。
ましては他人には絶対に見せられない(これはあくまで私の感覚だけど)。

だから、まずは、「絶対に家族には見られない、聞かれない」時間や場所を選んで、徹底的にそれをやってみた。
この時期、幸いにも私には一人の時間が多かった。
だから、思い出して泣けて来たら、思いっきり泣いた。絶対に人に見せられないひどい顔をして、そしてわざとそこまで顔を崩した。

すると今度は「怒り」が湧いてきて、流れに任せて次は徹底的に「怒った」。

神様や仏様、家族に罵詈雑言を投げつけて、せっかく畳んだ洗濯物をぶちまけて、ソファーをけり倒して、床を手が真っ赤になるまでたたき続けた。泣きながら。それらは、いつも妄想しながらも理性で抑えていた「怒り」の形だった。

すると、不思議だった。それをある程度やると、心がスーーーーーと静かになるのだ。

終わった後は若干恥ずかしい。けどなんか気が済んでしまうのだ。
家族が帰ってくる頃には「あ~、おかえり~」とこれまでよりも冷静に言える自分がいるのだ。
「これはいいかもしれない」と思った私は、はらわたが煮えくり返ることがあるたびにそれをやった。そういうことはしょっちゅうあったから。
「家で」が難しい時は夜一人外を歩きながら、ぶつぶつと呪いの言葉を吐きながら(言いたいことを言ってるって意味ね^^;)目に涙をためて月をにらみながら発散した。
この時、不思議なんだが、「神や仏はいない」とはならなかった。それよりも、なんか、もっと身近にその存在を感じていたように思う。

だからこそ、本気で月を睨んだ。

神様や仏様に見せるために。自分が怒っているのを見せるために。

自分の話⑤

自分と神様に切れた私は、これまでなんだかんだと蓋をしていた自分の負の感情を爆発させてみた。

一向に願いを叶えてくれない自己啓発の本のテクニックを怒りに任せて投げ捨てながらも、何故か捨てられないものが二つあった。それが「神様仏様」と「ホオポノポノ」だった。

おそらく、強烈に反発しながらも「もう頼みの綱はこれしかない」とまで追い詰められていたともいえる。
「神様仏様」はとても静かだったが、私が決定的な間違いを犯しそうになると必ずその時だけ、大きな存在感を見せてきた。
それについては以前書いたことがある。こちら↓

「お釈迦様が教えてくれたこと」

「負の感情を爆発させる」、それをやりつつ、もう一つやっていたことがある。
それが「ホオポノポノ」。

出てくる感情を「ごめんね・ゆるしてね・ありがとう・愛しています」の4つの言葉で「クリーニング(浄化)」するというものが基本だが、この時期の私はそれでは満足せず、だいぶ前に紹介した本(こちら)に名前だけ載っていた「12のステップ」というものに強烈な興味を持って、ネット上でそれを探し出し、1日1度3回声を出してその「12のステップ」をやるというのをやっていた。

たぶん、「12のステップ」の内容を知ってこれを人知れず一人でぶつぶつ唱えてる人を見ることがあれば、確実に「やばい人」だと思うだろう^^;

自分でも時々「なんでこんなわけのわからんことを大真面目にしているんだろう」と頭の片隅で思っていたし。

「12のステップ」とはアファメーションと光の瞑想を合体させた強力な浄化ツールだと今だからわかるのだが、この当時は全く意味も分からず、ただ何かしないと気持ちが収まらないのでやっていたという感じだった。
振り返ると、この時期、私は最初の毒出しと浄化の時期に入っていて、無意識にサポートチームとハイヤーセルフに導かれてこれをやっていたのだと思う。

出てくる感情をそのまま受け止め(毒出し)、「12のステップ」で浄化する。
そして、ある程度これが終わった後、私は次の段階に入ることになった。
それは宇宙に向かってある「宣言」をすることだった。

6年前の私の「決意」はそれはそれはカッコいいものだったと思う。

家族の為に自分の人生をささげる、一つだけ自分の好きなことを続けるという条件付きで。

この時期私は常に2つの自分を行き来していた。
それは「家族の為に自分を犠牲にするカッコいい自分」と「家族の為に自分を犠牲にしなければいけないかわいそうな自分」

元気がよく、調子のいい時は前者になった。

充実した感じがした。自分が価値あるものに感じた。そして自分がどうにでもしてやるとか、どうにでもできるとか、そういう「権力」にも繋がる「力」みたいなのさえも感じていたと思う。
けれど、忙しさがマックスになったり、金銭的に余裕がなくなったりすると後者になった。
「なんで私がそこまでしなくちゃいけないのか」「なんて不幸なんだ」

周りはどこまでも無力で、自分はどこまでも惨めで悲しく弱くどうしようもない存在で孤独だった。

「負の感情の爆発」と「12のステップ」で何とかしのいでいた私だったが、またもこの後者の気分に襲われることになった。
私は7月の初めに「展示会」を予定していた。それまでに3か月を切り、私は焦っていた。

私は全てを自分一人でやっているのでとにかく時間がかかる。3~2か月前というのは、全てをかなぐり捨てて制作に没頭しなければならない。お金も一番かかる。

とにかく何もかもの余裕がなくなるのがこの時期なのだが、この時ある家の事情で、私は普段以上の責任を引き受けてしまっていた。本当は2週間ぐらいで終わるはずだったのだが、全ての状況の総合的な視点から、この状況を続けるのがベストだと判断し、私の号令で結局11月ごろまではこの状態を保とういうことになった。

私が「できる」か「できない」かは関係なかった。状況上、それしかないと思った。

けれど、展示会2か月前を目の前に、「焦り」が出てきてしまった。そしてこの焦りは「怒り」にも変わった。

なんでそもそも全く自分には責任のないことを、ここまでやらなくちゃいけないのか。当の責任者は何をしてるのか。いつもいつも「わからない」「むり」「しょうがない」そんな言葉の連続でまったく向き合おうとしない。
ついに堪忍袋の緒が切れて、「もう無理だ!助けを呼ぼう!あの人たちにも一部を引き受けてもらおう!そうしたらなんとかしのげるし!」そう思った。
そしてそれは正当な権利だとも思った。こうなった時にいつもそうであるように。

けれど、その時、何故かもう一人の自分が強くこう呼び掛けてきた。
「ほんとうにそれでいいの??本当に??」
「本当にまたいつもと同じようにヒステリーをおこして助けを呼ぶの?」

おまえはまた、同じことを繰り返すのか?

それがもう一人の私の声だった。

自分の話⑥

私のストレスがマックスになった2015年4月下旬。
いつも以上の責任を自ら引き受けたくせに、自分の中の強烈な「自己」が状況に対して「NO!!!!!」と叫びだした。
私はその「NO!!!!!」は自分がここまで責任を負う事に対しての「NO!!!!!」だと思った。
だから、こうなった時いつもやるように外に向かって自分の正当性をかざして「ヘルプ」を求めようと思った。
「私にはそんな義務はない!そんなことあなた達も分かってるでしょう??」って。

けれど、そうではなかったのだ。この「NO!!!!!」は自分の引き受けた責任に対する「NO!!!!!」ではなかった。
これは、目の前で起こっている状況に対しての拒絶反応ではなかった。

そうではなく、それはもっともっと深い部分、私が自ら繰り返す「自分の思考」に対しての「NO!!!!!」だったのだ。

当然の助けを求めようとしたとき、ぐうっと自分の奥の奥からこんな気持ちが湧いてきた。

私は、いつもいつも同じことをしている。いつもいつも。

きつくなったら誰かのせいにして、弛緩剤のような状況をごまかすものを求めて。
そして「変わらない」と嘆く。そんなこと、何の意味があるんだろう。
いつもと同じように行動しても同じことの繰り返しで、何も変わらないんじゃないか。
もし本気でこの状況を変えたいと思うのなら、いつもならしない何か別のことをしないと、変わらないのかもしれない、、、

この小さな、でもとてつもなく強い私の奥から出てきた声が、もうのどの奥からとっくに出てきて、後は口から出るだけっていう「ヘルプ」の声を、無理やり奥歯でギリギリとかみ砕いて再び飲み込ませることになった。
そしてこう思った。
「絶対に変えてやる!!もう絶対に同じことは繰り返さない!!」

もともと、この状況は「ヘルプ」を求める予定だった人の安全のため、私があえてその人を状況から隔離したために起こったことだった。
それをしてみて、今度はその人を問題からあえて切り離すことが、問題が唯一好転する道だと感じるようになって、
「この問題を進展させるにはこの方法しかないし、それは今しかない!」と思って、自分にとってはきつい状況を引き受けてしまったのだった。
この判断は、今でも間違っていなかったと思っている。あの時「ヘルプ」を求めてしまったら元も子もなかった。あの状況をつづけたからこそ、今の少しは進展した状況があると思っている。
けれど、この時のこの判断は、私にとってもう一つ、とてもとても大きな意味を持つものとなった。

私は、その日の夜、洗濯物を取り入れながら夜空を涙目で睨みながら、こう宣言した。

「もう、今までとおなじことはしません。私はこれが最終試験だと思っています。絶対に卒業してみせます。絶対に乗り越えてみせます。」
それは神様に向けた挑戦だった。

神様は私を助けるためにあそこにいるんじゃない。そうではなく、見ているんだ。私がどうするか、あそこから、ただ見ているんだ!と思った。

みてろよ、、、この野郎、、、っていう「怒り」が心の底から湧いてきた。

この時、私は初めて自分の人生の「責任」を引き受けたのだと、今は思う。
この後もいろんなことで悩むのだが、この時初めて「状況は関係ない。自分がどう考えどう向き合うかでしか人生は変わらない」そんなことを、たぶん言葉には出来ていなかったけど感じ取っていたのではないかと思う。
そして、この宣言こそが「アセンション」に入るための最も大切な「宣言」であり、私のハイヤーセルフが求めたことであり、その為にサポートチームが奔走した結果だったのだと思う。

そして私は何とか助けを呼ばずにこの状況に耐えることにした。
そこから、怒涛の不思議体験が始まっていくことになる。

自分の話⑦

天に向かって「今回が最終試験だと思っている。絶対に卒業します!」と宣言した私。
この宣言のきっかけとなったその時自分の奥の奥から出てきた小さなけれど強く重い声は、きっとその前の最初の「毒出し」「浄化」をやったからこそ、気が付いた自分の声だったと思っている。
自分の怒りを無理やり心の奥底に押し込めず、出して、ホオポノポノ「12のステップ」で浄化して自分の中から取り除くことで、それまで私の最も深いところに沈んでいた声が浮かびあがってきたのだろう。

そういう意味でも、「毒出し」の大切さを感じている。
人は自分の感情を表に出す、それは自分でその感情を認めるという意味だけど、それをして初めて、本当の自分の声が聞こえてくるものなのだ。
それは時として、自分が「それだけは絶対にない」と硬く決めていることであるかもしれないし、反対にそうやって固く決めているものの中にこそ本来の願望が隠されていることが多いようにも感じている。

さて、ちょっとこの時期に私が見ていた摩訶不思議な夢や一瞬の「ビジョン」を箇条書きで上げてみようと思う。なぜなら、私の不思議体験のキーはいつも「夢」や「ビジョン」なので。
前後はちょっとバラバラ。思いつくままに。

・ナマズが私の右手に卵を大量に産み付けていく夢。しかも受精卵・・・
・なまはげ5体が私の為に延々と「漫談」を繰り広げる夢・・・見てる方は気持ちはうれしいが疲れてくる^^;終わらないから。
・集団でどこか格式高い神社にお参りに行った帰り道、皆で夜空を見上げると、「白い龍」がめっちゃかっこよく現れる夢
・私の部屋に大量のアリンコが発生する夢!
・風呂場とリビングでこれまた大量のバッタやらゴキやらが発生している夢!しかも上の夢の3日後に見る。
・江戸時代の大衆演劇の集団に拾われた女の子の夢。前世
・「カマイス・ナタリー・S・グラゴー」という名前??が最後に連呼されて終わるおそらくロシアの女性の悲しい一生の夢。前世?(後に前世とわかる)
・1900年代、東欧、ナチス前にあったユダヤ人の迫害時代に生きた水色の服を着た女性の人生。前世?(これは今の家族に繋がる話、こちらも後に前世とわかる)
・家族写真を撮る夢。「もうこれが最後だから」という家族の呼びかけでワンコも入れて撮る。2015年1月20日。
・宇宙船の中で美術の授業を受けている夢。ビーズを触っていたら友人が「絵を描け」と進めてくる。
・同じ宇宙船の中、やはり何かを勉強している。で、窓をみるとものすごく巨大な「猫型雲」が。次々に面白い雲が登場する。
・南米かスペインのロマ族か?そこで生きていた若い女の子の衝撃のシーン。現在の自分に通じる前世。
・巨大な(2メートルぐらいある)サソリとカブトガニが一緒になったような生き物が、何故か本気で攻撃を仕掛けてくる夢。果敢に応戦してしまう。
・とっても素敵な「ユートピア」のようなところで水上ボートに乗る。動くスピードや風、色彩がとてもリアル。心洗われる夢。電車に乗って帰ってくる。
・近未来都市に飛行機のようなシャトルのようなもので何度も訪れる夢。乗り物に乗っている時の感覚が半端なくリアル。重力まで感じてしまう。
・マーシャルおじさん、能天気に空を飛んでいる夢。。おじさん、私、それどころじゃないねんけど…と感じて苦笑。
・1820年代のパリで使われていたジュエリー細工用の金槌を2015年1月に手に入れていて、その後、その持ち主だと思われるおじさんが一瞬見える。
・顔が福笑い状態の女の子のビジョン。これは後に詳しく紹介します。
・船が沈む夢
・異常気象で家が吹っ飛ぶのではと恐れる夢(こういうのは結構見る)

まあ、上げればきりがない。ほんとにいろんな夢を見ている。2015年以前の夢を書き足すともっともっとあるので、これぐらいにしときます。それから、ここには「別の意識が入ってくる夢」はないから、ホントにきりがない…。
まあ、この時期の特徴としては、前「巨大バタフライの夢」で紹介したように、分かりやすいモチーフが出てくる夢が自分にとって新鮮で、とくに「ナマズ」の夢を見てから、現実逃避もあってネットの無料の「夢占い」に走ることになる。
これが「目覚め」のきっかけだった。この辺りから私のサポートチームは大活躍しだすのだ。まずは夢から仕掛けてきたんだね。
そんな話をまた次回。
皆さま、今週もお疲れさまでした^^

余談ですが、これを書いていて、「家族写真を撮る夢」のメモにこんな記述を見つけてしまった。

2015年1月20日(火)朝起きる前一瞬夢を見た。Mのもう最後だからみんなで写真を撮ろうという呼びかけで写真を撮った。
そういえば先日「弟(2016年5月19日に他界した)」がやはりスーツにネクタイを締めて私と父に「やりたいことができた、○○がしたい(○○はわからなかった)と言っていた夢を見たことを思い出した。
○○は結構本人に危険が及ぶ仕事なので私は心配したけれど、弟は使命感に燃えていて、初めてやりたいことが見つかったようで生き生きしていたので「心配だ」とは言えなかった。
どちらも夢だけど、そろそろ今の時期が終わりを迎えようとしている気がする

私はこの夢のことはすっかり忘れていて、今も思い出せない。
このメモがなかったら全く記憶から消えていた夢だ。
不思議だが、この時には、もう弟の高い部分は自分が何をするのかを決めていたのかなとも思う。そして私たち家族はそれに同意したのかもしれない。
弟が、後で伝えてきたことに、弟が逝ってしまう前に感じていた私の弟に対する怒りは「俺に対して」ではなく、「俺が決めたことに対して」の怒りだったのだから気にしなくていいんだって伝えてきたが、「俺の決めたこと」とは「やりたいこと」の為に、この世を去ることで、それは現実にはあまりに突然だったけど、本当はだいぶ前から決まっていたのかもしれない。振り返れば、そんなことを感じることが本当にたくさんたくさんあったので。
ほんとうに不思議だなと思います。

自分の話⑧

神様仏様に挑戦状を叩きつけ、なんとか状況に耐えることにした2015年4月末の私は、その頃現実逃避の為に「夢占い」に走っていた。

とはいっても、根がケチなので、全部無料のサイト。都合のいいところだけを、摘まむ感じで読んでいた。
そうこうしているうちに、ある日うちのワンコが怪我をする夢を見た。
ワンコにだけは無条件の愛を感じている私は、顔面蒼白になり、「なんだ!!もしかして、なんか不吉なことでも起こるのか!!??ワンコに何かあるのか??」と飛び起きて、そばにあったスマホですぐに「犬・夢」みたいな言葉を入れて検索した。

ピタッとくるものがないまま、「うーん、これ?いや~なんか違うなあ、、」と適当に上がっていた項目を見ていたのだが、
ある人のブログに辿り着いてしまう。
それは「アニマル・コミュニケーション」という動物と話ができる人のブログで、自分と飼っている猫ちゃん達との生活を綴ったものだった。

丁度その時、私は保健所で殺処分される犬たちのレポートをテレビで見た後で、人間に嫌気がさしていたのもあって、ジュエリー作家なんかよりもこの小さな命の為に何かできないものかなんてぼんやりと思っていた所だった。

どんどん引き込まれていってしまい、しまいには、自分もこの「アニマルコミュニケーション」とやらをやってみたいとまで思うようになった。今思うと完全に現実逃避なんだけど、結構真剣に考えてた。

こういうことは特殊な人の「超能力」みたいなものだと思っていたのだが、どうもそうではないらしい、習えばできるものらしい。それがかなり新鮮でもあった。

ブログの人は関東の人だったので、関西にも同じようなことをしている人や機関があるかもと探してみると、案の定あって、そのうちの一つのサイトに辿り着いた。アニマルコミュニケーションのレッスンもある。
ただし、その値段に驚いた…。

もうあんまり覚えていないが、現実逃避のための夢占いもケチる私が払う値段では全くなく、あっけなく諦めた。
名残惜しく、ダラダラとそのサイトを見ていたら、「天使と繋がるなんちゃら」という項目に何気なく目が留まる。
私はそのタイトルを見ただけで、「ああ、イタイな。。何が天使だよ…、おめでたい」とアニマルコミュニケーションも相当イタイと思うのだが^^;自分のことは棚に上げ、「こまったさん」を見るような目でそのタイトルに引っ付いている天使の可愛らしいイラストを眺めていた。
まあそれくらい私にとって「天使」の存在はビジュアルも含めて遠い遠い存在だったということなんだけど。

天使の項目は横目で流して、下にスクロールしていくと、また目に留まる項目があった。
それが「瞑想」についての項目。

その項目をまたも適当に読んで、どうも、天使と繋がるのもアニマルコミュニケーションをするのも「チャネリング」と言われるものであり、チャネリングができるようになるためには「瞑想」が良いようだ、みたいな勝手な解釈が私の中に出来上がってしまった。

タダで出来るというのもあって「瞑想かあ、もしかしたらメンタルにいいかも。ちょっとやってみるか」とそこに書いてある
「瞑想方法」通りに夜寝る前とか、ちょっと休憩の時なんかにやってみることにした。
「瞑想」とは純粋な目的で行うのは問題ないのだが、私のように「チャネリングができるようになるかも」みたいな下心をベースにやりだすと、知らず知らずのうちに「意識の開放」が起こってしまい、かなり危険な行為になるとはこの時の私には知る由もなかった。

「やるのはタダ」みたいなせこい理由であるにもかかわらず、「できるようになりたい」という欲があって、ちょっと真剣にそれをやっていたためなのか、ある日、夜寝る前に、その「なんちゃって瞑想」をし終わって「寝よう」と思った瞬間、あるビジョンが見えた。

それが前回の夢リストで上げた「顔が福笑い状態の少女」だった。

自分の話⑨

「顔が福笑い状態の少女」、この子を見つけたのは2015年の4月末頃だった。

その頃私は現実逃避の為に「なんちゃって瞑想」に凝っていた。
自分のどうしようもない現実を何とかできるのなら、もう何でもよかった。だからネットでたまたま見つけたサイトの「瞑想方法」を訳も分からずやっていた。
私のイメージでは、「瞑想とは“無”になること」みたいな思い込みがあったのだが、見つけたのは何やら書いてある通りにイメージすればいいだけらしい。
「無」はなかなか難しいけどこれならできるかもとやっていた。

そしてその日も寝る前にいつも通り布団の中で「瞑想」し、「さあ寝よう」とした時だった。
閉じた瞼の向こうに「引き戸」が見えた。

昭和の時代の一軒家によくあった木製の格子にガラスがはめ込んであるような「引き戸」、「引き戸」の前には引き戸と平行に板張りの廊下がある。
「引き戸」の向こう側の部屋には灯りはなく真っ暗なようで、ただこちら側からスポットライトを当てたかのようにその「引き戸」と「廊下」が浮かび上がっていた。
「あれ??」と思った。そして、そのまま目を閉じて見ていてもその「引き戸」と「廊下」のイメージは消えない。

すると不意に「カラカラカラ」と「引き戸」が人一人が横になったらやっと通れるくらいに開いた。そして真っ暗な部屋の中から、なんと小学生くらいの女の子が出てきた。ちょうど漫画「ちびまる子ちゃん」そっくりで赤い釣りスカートに白いシャツを着ていた。ただ何故か髪が金髪のおかっぱで、顔を隙間から半分のぞかせていた。

私は、その子の顔を見て仰天する。なぜなら、その子の顔はちょうどお正月にやる「福笑い」のごとく、目や鼻、口などのパーツがバラバラなのだ。
顔のパーツはバラバラだったが、おでこ中央辺りにあるひっくり返った片目が私を上目遣いに見ているのが分かった。
「向こうは私を見ている」そう思った瞬間に背筋が「ぞわっ」ときて「うわっっ!!やばっ!!」と思った。
女の子は私を見た後、その顔を隠すように頭を伏せ気味に部屋から出てきたかと思うと、泣きながら廊下を走り去ってしまった。

この間ほんの一瞬。目をばちっと開けた私は心臓がどきどきしていた。

「これはなんかやばいものを見ちゃったに違いない…」「どうしよう、気が付いてしまった、このまま放っては置けない…」そう思った。しばらく動悸が収まるのを待ちながら、こういうことに関してなんの知識もない脳みそをきょときょとと動かしていたら、一つのアイディアが浮かんだ。

「そうだ!お祈りしよう!」

落ち着いて考えて見た。きっとあの子はあの顔が恥ずかしくてあの部屋にずっと隠れていたのだ。そしてきっと今もあの部屋に隠れているに違いない。

あの子をあの部屋から出さないと。

でもそれにはそれなりの魅力的なイメージがいる。

この時私にはなんとなく「効果があるんじゃないか?」と思っていた自己流の「お祈り」方法があった。
それは、言葉で祈るだけでなく、「ビジョン」を一緒に送るというやり方だ。これはこの時は全然わかっていなかったけど、こちらの意識の力でエネルギーを変換し届けるという意味でとても効果があったのは間違いなく、どうも本能的にやり方を掴んでいたようだ。

私は手を合わせながら祈った。
まずはとっても気持ちのいい青空の下に広がる原っぱをイメージした。奥には山があり、原っぱには小さな野花や昆虫がいて、ちょっと地面が上がったり下がったりしていて、子供が喜んで走り回って遊べるような所をイメージで作った。そしてその映像の中に先程の少女を置いた。それから、こう話しかけた。
「あなたね、あんな暗い部屋に隠れてないで、外で遊んでごらん。見て、こんなに気持ちがいいよ。あなたは自分の顔を気にしているみたいだけど、きっとこの空の下で思いっきり遊んでいたら遊ぶのに夢中になってそんなに気にならないはずだよ。」
そういって画面の奥を見ると、その子と同じくらいの子供が数人遊んでるのが見えて、「ほら、あの子たちを見てごらんよ。彼らだって遊ぶのに夢中であなたの顔がどんなかなんて気にしないはずだよ」と言ってみた。
するとその子は私の方を「そうかな…」って若干疑りの表情で見てから、その子供たちの方に向かって少し走るようにして行ってしまった。

目を開けた私は「これで大丈夫だろうか。。。無事離れていってくれただろうか…」と思ったが、この時の私にそれを確認するすべはなかった。。。

自分の話⑩

2015年4月の末に見つけた「顔が福笑い状態の少女」、結論から言うと、この子はこの年からさかのぼること数年前に私が偶然知り合ったある人から引き継いだ幽霊ちゃんだった。

そしてこの子は自分が私から離れるための「助け」になってくれる人物に私を導いてくれることになる。のちに私が今のスピリチュアルな能力を安全に正しく開発していくための師匠にもなる人だった。

彼女の話をして彼女を光に還すためのお手伝いをしてくださったその人に「この子はkeiさんが生まれたときから一緒にいたというよりは途中で引っ付いちゃった幽霊ちゃんのようです」
と言われた瞬間に「あ===><!」とわかってしまった。
どこから拾ってきたのか。それは私の中では完全に終わった話だったのだが、実はこんなところに繋がってくるなんて、今でも本当に不思議だ。

数年前あるファッション系の合同展示会にジュエリー作家として初めて参加した時だった。二日ほどの展示会で、その人と知り合った。縁はそれっきりになったのだが、この記憶は忘れられないものになってしまった。なぜなら、この時の最終日の後のホテルで私は人生で初めての強烈な「オカルト体験」をしたからだ。

私は普段本当に地味に活動しているので、こういうところに参加することはほぼない。っていうか、この時の体験で、こういうやり方は自分にはつくづく向いてないことが分かってしまい、今は全く興味はなくなってしまったが、この当時は自分がジュエリー作家として販路を広げるためにはどうしたらいいかという模索の時期だった。
結果は、それまでは経験がなかったために全く見えなかった小売業界に対する疑問が大きくなっただけだった。

ただ良かったこともあって、この時すでに始まっていた今お付き合いしているお店がどれだけ素晴らしいかってことを身をもって知ったし、その後お付き合いするお店を決める上で自分の中の確かな「基準」を確立することになる大きな経験となったのだった。
まあ、でも意気込んでチャレンジしたわりにの結果だったので、外には出さなかったが、内心はものすごくショックでくさっていた。

このメンタルに吸い寄せられるように今回の幽霊ちゃんがやってきてしまった。

もともとの宿主さんであるその知り合った人も(ジュエリー作家ではなく芸術家さんだった)、人知れず自分の創作活動に悩んでいて、同じように今回の展示会ではがっかりしていたのだろう。
努力して頑張って、「認められたい」って思いでやってきたんだろう。でも「プライド」もあっただろうし、そんな気持ちを外に出してもしょうがないっていうのもあったのか、私と同じく顔には出さなかった。
親しみやすく面白い人だったが、作品はかなりシュールだったので、物凄い「闇」を持った人だということは、そんなオカルト体験をした後では、なんとなく想像は出来た。
幽霊ちゃんは、私とその人を見比べて、どうやら何故か私の元に来ることを選んだようで、私はその時に受け取ってしまったらしい。
この後のオカルト体験で登場したのが「金髪のおかっぱの少女」だった。思い出すと赤い吊りスカートに白いシャツだった。顏は見えなかったが手塚治虫さんの漫画ブラックジャックの「ピノコ」に似ていた。もっともこの姿は忘れられないオカルト体験の後に起こった不思議体験で知った姿で、ホテルではもっと怖い感じだった。この時の話は「怖い話」になってしまうので、ここでは省きます。この後私も居てもたってもおれなくなり、ちゃんと対策をとったので私の中では「終わった話」になっていた。その後怖い思いをすることはなかったし。

けれどこの幽霊ちゃんは私と共にいた。

私と一緒に私の人生を体験していた。泣いて笑って自分を生きているような感じもしていたそうだ。
でも、今回、「自分の話⑥」でも書いたように私は次のステージに上がることを決意した。そして私が決意したその場所には幽霊ちゃんの波動では一緒には行けなかったのだ。

だから幽霊ちゃんは光に還るために自分を上げてくれる人を必死に探した。

自分に怖い思いをさせずに上げてくれる人。

私を使って本当に必死に。。

それくらい彼女にとって光に還るということは未知の世界で、怖かったのだと思う。

自分の話11・リベラとの出会い

2015年4月末、たまたま見つけた瞑想のページの瞑想をやっていて、「顔が福笑い状態の少女」を見つけてしまった。

自分なりのお祈りで、解決したことを祈りつつ、相変わらずスマホでの現実逃避が続いていた。仕事とやらねばいけないことをする時間以外はほぼスマホでネットサーフィン。瞑想のページも離れ、いつの間にか天使のことを書いたブログに辿り着いてしまった。多分「アニマルコミュニケーション」で検索してそこに辿り着いたような気もする。
なぜならその「たまたま」辿り着いたブログの人も、人生が嫌になり、動物の為に何かできないかとアニマルコミュニケーションに関心を持ったのがきっかけで天使の世界に導かれたとあったので。
その人は私なんかよりももっと過酷で壮絶な人生を進む中で、ある瞬間に心の底から「幸せになりたい!!」と思った時に不思議な流れが始まったとあった。
こういったタイミングや、その人が初めは全く何も感じない「霊感ゼロ」タイプであったことなんかも、なんとなく自分と重なっていった。
そのページで、天使のことを詳しく知るようになった。

でも、どうも「おめでたい感」は抜けない。天使がそばにいる合図として、白い羽が落ちてくるとか空に天使の羽の形の雲が出てるとか、泊まったホテルの窓を開けると目の前の建物の壁面に天使の像があったとか。
「いや、それ、全部偶然じゃないの^^;」「そういうこと、普通にあるし」と思った。
自分に守護霊がいるとかご先祖がついてるとか、そういうのはなんとなく身近に感じるが、どうも西洋的な「天使」は日本人としてはしっくりこない。
よくわからなかったけど、結構詳しくその人の不思議体験を読めるので、面白くは感じていてブログのはじめから読んでいた。

この時、実はもう一人の自分がいた。天使の記述に冷めた自分がいるにも関わらず、もう一人の自分はこのブログをむさぼるように読んでいた。
もっともっと!もっと知りたい。なぜかそんな感じで、次々にページを移っていく自分。展示会前の時間に余裕がない時期なのに、展示会よりもブログを読むことの方がメインになっていく感じ。

そして、あるページに辿り着いたとき、そのもう一人の自分が、ついにはじけて崩れ落ちてしまうのだった。
そのページには、そのブログの人が「知り合いの子供さんが見ると、そこに天使がたくさん見えるっていう話です。私には見えないんですけど、でもとても気に入っています。」
といって紹介するためにある音楽動画が貼ってあった。

それが、このリベラの「彼方の光」という動画だった。
この動画を見た時、自分の中で何かが崩れ落ちて、ボロボロと涙が出てきた。そしてこう思った。
人生の最後にこうやって迎えてもらえるのなら、私はあそこに行ってもいい。
何度も何度も、この動画を見て、ついに私はその日、このブログの人のセッションの申し込みボタンを「ポチ」っと押してしまったのだった。

この時のもう一人の自分、ブログをむさぼるように読んでいた自分、動画を見て感じた「あそこに行ってもいい」と感じた自分、そしてセッションの申し込みボタンを押した自分、この自分は、この時は知らなかったのだが、実は、あの「顔が福笑い状態の少女」だった。
そしてこの時が、この少女と私自身も気が付いていない私の要望に応えるかのように天使が動き出した瞬間でもあったのだった。

自分の話12・天使の攻撃

ケチな私が、何故か天使のセッションのボタンを押してしまった。自分が抱えている大きな大きな悩み。これを何とかしたいと思い、このセッションを受けることで何か解決の糸口が見つかるかもという期待もあって「ポチ」っとしてしまった。

けれど、これはすぐに後悔に変わった。
あー、自分は何をやっているのだろう。こんなことにお金を使うなんてありえない。

正直、興味はあった。

何故なら、今まで誰にも話せなかった彫金を始めた頃から、特に「ホオポノポノ」を始めた辺りから始まった、いくつかの気になる不思議な夢の話や、つい最近見た「顔が福笑い状態の少女」について何か聞けるかもしれない。わかるかもしれない。そしてこれらが私の今の悩みと関係してるのかもしれない。

いろいろな期待もあったが、それらは所詮「娯楽」でしかないような気もした。何よりも、こんなことに今さらお金を使うって決めた自分がどう考えても「血迷った」と感じる思いの方が強くなって、「やっぱ、キャンセルしよう…、うん、そうしよう、だって、ありえないし、、そんなこと聞いたところで何がどうなるっていうんだ。。そんなことを知っても今の自分の悩みが解決されるとも思えない。。」
頭を切り替えようと思った。そして、天使のブログに行くのをやめて、SNSの投稿画面に行くことで普段に戻ろうと思った。いつもの人たちの投稿を見れば、普通に戻れる、そう思った。

SNSに行くとある動画が目についた。誰かの「いいね」で上がってきていたものだった。
タイトルは「世界一かわいい目覚まし時計」

可愛い猫の姿が映って動画は静止している。
「うわ!世界一可愛いって、もうわかるやん♪この子が飼い主さんを起こす動画やね、、これ見ようこれ見よう、そして天使何とかは忘れよう♪」とその動画を再生した。

カメラは猫ちゃんの姿をアップで追っていく。猫ちゃんは飼い主さんの意図は知らず、いつものように起こそうと懸命に飼い主さんを猫パンチ。
飼い主さんは巧みに寝たふりをしながら猫ちゃんの姿を追いかける。。その瞬間、、そのほんとに一瞬、猫ちゃんが小さくジャンプしたその姿を、カメラがとらえようと少し動いた瞬間に、その家の壁が映った。

その壁にあるものを見て、私はもう猫ちゃんどころではなくなってしまった。まさか、まさか、、今のはまさか。。。。

それは天使の肖像画だった。
その画面に映った壁には、なんと天使の肖像画が飾ってあったのだ、、!!その飼い主さんは、「ロック好き」なのか、部屋の物は全て黒ずくめだった。
ベットも黒、。布団も飼い主さんの寝間着も黒。壁は白かったが、置いてあるものは全部黒が基調。天使の雰囲気のかけらもないその部屋の中で、白い壁に、黒い背景の絵が一枚かかっていて、それが黒をバックにしたちょっとロックな雰囲気の真っ白の天使の絵だったのだ。。。
「。。。。。。。。。。。天使?????????なぜ、天使???????」

「偶然」と思いたい。でも心のどこかで「偶然じゃない」とも思いたい。。頭がぐらぐらしてきて、せっかく忘れようと思って見だした動画によって、逆にますます頭が忙しくなった。
そしてその日は結局キャンセルできなかった。この日キャンセルしなかったら、もうキャンセルはできなかった。。

次の日、セッションの当日、洗面所で着替えながら、やはり頭は混乱し、強い後悔に襲われていた。お金云々よりも、なんかこんなことになってしまった自分を恥じる思いの方が強かった。
不思議な世界は自分が感じてればいいだけの世界で、そこに何かを求めてもどうしようもないじゃないか。誰かに何かを聞いて、それが何かってわかったとして、じゃあどうやってそれが真実だとわかるのだろう。結局は何が真実かなんて誰にも分らない。果てしなく無駄なところに自分は踏み込もうとしている。そんな感じだった。
ため息をつきながら、その時着たタンクトップの肩の紐のところに何気なく目をやった。
何かついてる、、、その何かを見て、また仰天してしまう。
それは真っ白な羽だった。肩の紐の部分に、小さな真っ白の羽が、ふわっと付いているんじゃなく、なんと「グサッ」と刺さっていた。。
それを見た瞬間に、「何でやねん!!!ありえへん!!!」思わず声が出た。
セッションは受けるしかないのだ、そう観念した瞬間だった。

自分の話13・記憶の導き

人間とは本当にゲンキンなもので、あれだけ天使からのサインとされる「羽」やら「天使の絵」やらで喜ぶ人を「おめでたい」と思っていたくせに、いざ凄いタイミングで自分の身に起こると、「おめでたさ」なんて吹っ飛んでしまう。天使もその辺は心得ているようで、こちらが衝撃を受けるタイミングを狙ってそういうことをしてくる。
私はまんまと天使のサプライズにハマってしまい、結局天使からアドバイスがもらえるというセッションに申し込んでしまった。
期待もしているくせに、懐疑心は抜けきれず、セッションの時間を向えるのだが、私は最終的にそのセッションをなんと4回も受けてしまうことになるのだ!!

1回目は例の「顔が福笑い状態の少女」の正体が判明し、彼女を光に還し、もう一つ気になっている「カマイス・ナタリー・S・グラゴー」という名前みたいなのが連呼されて終わる謎の「前世」の夢を見てもらった。

なぜこのタイミングでこのナタリーと呼ばれる女性が出てきたのかはわからないが、この女性の存在を私がちゃんと「知る」ってことがこの時はとても大切だったようだ。「知って欲しかった」というのがこの女性からのメッセージだったので。

私もこの女性の夢に関してはとても気になっていたので、セッションで聞けてよかったと思っている。
セッションに懐疑的だった私にこの人にこの話を聞いてみようと思わせたのは、「エネルギー」についてのその人の話だった。

セッションのはじめは、当初の目的通り今の状況に対するアドバイスを求めたのだが、その時の返答にこんなものがあった。
「いやだいやだと思ってその対象者に意識を向けることは、その人に自分の大切なエネルギーを流してしまうことになるんです。その時、相手が良くない状態だと相手のネガなエネルギーと自分から流すネガなエネルギーが一緒になってますます相手の状態は悪くなります。だからいやだと思うなら、まずは自分のエネルギーが相手に流れないように蓋をしてください。思考をそちらに向けないようにするんです。わたしはいつも“あー、もったいないもったいない”といって自分から流れるエネルギーを止めるのをイメージしてますよ」というものだった。

「その通りかもしれない」ちょっと目から鱗だった。そしてその話を聞いたとき、この人の言っていることにもっと耳を傾けてみたくなり、いろんなことを聞きたくなった。そして「顔が福笑い状態の少女」のことや、「ナタリーさん」のことを聞くことになった。

このセッションで、初めて私の前に「エネルギー」という視点ができた。

自分が今まで抱えていた断片的な不思議な世界に関するパズルのピースが、量子力学の話や夢の話、ホオポノポノの世界などが、繋がっていくのではないか、なんかスッキリしていくのではないか、そんな感じがした。
そして、セッションのあとアドバイスで言われた通りにエネルギーを意識してやってみると、本当に不思議なくらい、いつもだったら大変なことになることが意外とそこまで大きなことにならずに済んでいくのを体験した。
もちろんすべて万事解決とは程遠かったが、かなりこの考え方に救われた。

で、確かな感覚を持ってしまって、結局4日後に2回目を申し込んでしまった。。
2回目は実は別のメニュー(エネルギーワークの一種)で申し込んだのだが、何故かやっぱりセッションに変更してもらうことになり、前回に引き続き、もう一つ気になっていた「前世の夢」を見てもらうことになった。
それは私が今抱えている問題の原因の古い記憶だと感じていたので、夢の断片的な感じではわからない部分を、より詳しく解説してもらうことになった。
この話は長くなるのでここでは詳しくは書かないが、1900年代の東欧で貧しい身から玉の輿に乗り幸せを掴むも、旦那さんがユダヤ系だったため、子供と旦那を取られ、やり場のない怒りをマグマのように持ちながら女性の商人としてそこそこ成功した「水色のドレスの女性」だった。
夢では感じ取れなかった様々なディテールが明らかになり、その前世で自分が持っていた「呪うほどの怒り」が今の現状に影響していると知った時は本当にビックリした。
私はずっとこの現状に「困らされている」と思っていた。でも実はこの状況こそ私が「呪い」として持っていたものであり、呪いの相手が苦しみの中でのたうち回るのを外から眺め確かめることが、自分がかつて「絶対に許さない、見届けてやる」と誓って見ている現場だと知った時の衝撃はすごかった。
「呪っていたのは自分だった」そう気が付いたとき、あんなに八方塞がりだと思っていた現実に、思っていたのとは正反対の視点ができ、私の中に今までにはなく広い視野がぶわーと広がった。
セッションが終わった後、これまでにはない解放感を味わうことになり物凄く不思議だった。でも確かに自分の中の何かが解放され、肩の力が抜けた。今でもこの時のことは忘れられない記憶になっている。

「これでしばらく仕事に集中できる♪」そう私は思ったのだが、この後、間髪入れず、「エンジェルナンバー」がやってきたり(その時の話はこちら)、「ライトワーカー・ジャパン」のサイトを見つけてしまったり(その時の話はこちら)、また、以前チラッと耳に入って記憶していた「アセンション」というキーワードから物凄ーく面白いブログに行きついてしまい、結局、「もういいや」とはならず、ますますいろんなことに興味を持つようになってしまった。

そして少し間を置き、やっぱりまた3回目のセッションを申し込んでしまった。この時は2回目の時に本来受ける予定だったメニューを「今度こそは」と申し込んだのに、やっぱり自分の気になることを聞いてもらう「セッション」になった。

でも、この回に辿り着くことがこの流れの真の目的だったのだと今は思う。

私が受けたかった「運がよくなる」という別のメニューは私をセッションに導くための天使が仕掛けた餌だったようだ。
何故なら、この回で私は「覚醒」しちゃったのだから。そう、思い出してしまったのだ。
幽霊ちゃんを取り、古い記憶を癒し、自分で掛けた呪いに気が付き開放し、そうやって上に溜まっていた闇を取り除いたときに出てきたもの、それが古い古い今までの記憶とは桁違いに古く強い決意の記憶だったのだ。

自分の話14・アトランティスの記憶

これまでも、結構変な話を書いているけど、ここでの話もまた「大丈夫かな~」と心配されそうな話でもある。
私はこういう話は自分の中で「そんなこともあるのかも」と思うことで、実際の現実を生きる上でちょっと楽しくなったりやりがいを感じたり、今までの窮屈さから脱出できたりすることが大切なことだと思っていて、この話が「本当であるか」ってことを議論したいとは全く思っていない。
そういう意味ではスピリチュアルというものはある種のエンターテイメントと言ってもいいかもしれない。まあ実は高次元から見れば、私たちの人生そのものがエンターテイメントみたいなんだけれど。
だからこの話も「真実であるか」っていう視点で読んでもらうのではなく、あくまで楽しんでもらえたらと思っている。

不思議な導きで受けることになった天使のアドバイスが聞けるセッションは結局4回受けることになってしまった。
3回目のその日は、別の「運がよくなる」系のワークを受けるつもりだったのだが、なんだかやっぱりセッションになってしまった。
始めは不思議な夢の話で「別の世界に行ってしまう」話から、それを「パラレルワールド」というのだとか、その人の不思議な夢の話を聞いたりしていて、こんな夢を見るのは自分だけじゃないんだ~と感心していた。
話がふと途切れた時、「あ、そうだ、このことを聞いてみよう」と思いついたことがあった。

それが「船が沈む夢」についてだった。

ちょうどこの時期の1年ほど前、私は初めて「船が沈む夢」を見た。
私は船の上にいた。屋根が付いている甲板の上にいて、外がものすごい嵐になってきている。叩きつける波やそれによってちぎれたロープが甲板を鞭のように打ち付ける光景。
誰かがその方向から「だめだ!!」みたいなことを言って走ってくる。ふと気が付くと目の前で、小さな子供が親とはぐれたのかわんわんと泣いている。
私はとっさにその子を抱きかかえ、その船から脱出するための別の小さな船に乗り込む。船は私が乗り込んだとたん、すぐにそこから脱出するのだが、振り返ってみたその脱出用の船の窓から見た光景は、船に間に合わなかった人々を波が呑み込んでいく光景だった。呼吸が浅くなっていて、「助かった」とは思わなかった。まるでこの後何が起こるかを知っているかのような、そんな覚悟みたいなものが自分の中にあった。そして次の瞬間、自分が乗っている船もまた波に飲み込まれてしまうのだった。
水に沈んでいく感じ。子供を抱いている感覚。そういったものがとてもリアルだった。そして真っ暗になって目が覚めた。

あまりにもリアルで茫然とした。この夢は当時の私の中でけっこう強烈な夢となったのだが、同時に人には言えない夢ともなった。
何故かというと、その次の日に、実際に現実でフェーリーの沈没による痛ましい事故があったことをニュースで知ることになってしまったからだった。
この夢が「前世」だという感覚はなかった。なぜなら、船は現代のフェリーのような物だったし時代を感じさせるヒントみたいなものがあまりにも少なかったから。これは後から考えると、この記憶があまりにも古いために、現在の私の脳の記憶の中には材料がなかったため、現在の近い記憶のイメージを繋ぎ合わせて表現したのだと思う。

(宇宙の記憶も含めて、あまりにも古い記憶は、脳の表面には存在しないと感じている。そういったことについてはまた別の機会で書きたいとも思う。)
この当時はそんなことは全く分かっていないので、もしかしたら「予知夢」なのかとちょっと怖くもなった。
セッションで教えてもらったのだが、この夢は次の日のフェリーの沈没という出来事のエネルギー的な影響を受けて誘発された夢だったようだ。
なぜなら、現実で起こることはその前にエネルギー的にそちらの世界ではもう実際に起こっていて、それが時間差で現実世界に現れるのが本当の流れなので、私が夢を見たときにはもうエネルギーの世界ではフェリーの沈没は起こっていたようなのだ。
だから似たエネルギーを持つ私の過去の体験がこのエネルギーの影響を受けて浮上したらしかった。

しばらくして、事故の報道もあまりされなくなり現実のいろんなことに翻弄される日々で、この夢のことはあまり気に留めなくなっていたのだが、このセッションを受ける数日前にまた船が沈む夢を見てしまった。今度はめちゃめちゃに壊れた船の木製の瓦礫によって私は小さな空間に閉じ込められていた。
下からどんどん水が上がってくる。がれきの向こう側で男性と女性が私を心配し、必死に「大丈夫か?大丈夫か?」と声をかけている。
私は「大丈夫、まだ大丈夫」と言いながら顎の下まで来た水に何とか口をふさがれないように必死で上を向こうとするが、水は容赦なく上がってくる。
息ができない、、というところで目が覚めた。また呼吸が浅くなっていた。

なんだろうなと思った。よくわからない。でもさすがに多少の違いはあるものの2回も見ると気になってくる。
ということで、その日のセッションで何かわかればいいか~ぐらいの軽い気持ちで聞いてみた。

すると、その人は見えている状況をこう説明してくれた。
「なんだろう、空が、今の空じゃない。。真っ暗、たぶん昼間なのに真っ暗。船も今の技術で作られたものじゃない。今でいう豪華客船みたいな感じなんだけど、全部木で出来ている。今の文明ではなく、もっと前。こんなに古い記憶は初めて見た」

私は反射的になぜか「アトランティスですか?」と言っていた。
その人は「あ、そうかもしれない。この人たちは今よりもずっとスピリチュアル的に高い人たちで、この時何かのミッションの為に集団で移動していたみたい。でもどうもそれをよしとしない別の集団がいて、その人たちに“騙された”と慌ててワラワラしている。。この人たちなんの集団なんだろう。とにかく、自分たちの心配よりもだました人たちの方を心配している。あれじゃだめだよねって」

この話を聞いたとき、何故かこう思った。「あー、そうだった…そうだった…なんか、確かにそうだった…」
だから私は今生きているんだ。この時出来なかったことを今度こそ実現するために。
なんだろう、冷めた私の頭の方は全く理解できていない。けれど心がそう言うのだ。当たり前のように思い出してまぎれもなくそうであったと「知っている」のだ。
そして、この瞬間から私の中で天使うんぬんを「うそだろー、そんなことないよー」と疑うもう一人の自分がいなくなった、というよりも黙ったのだった。
そして私はその後、どういういきさつでそうなったのか覚えていないのだが、「ライトワーカー」という言葉を検索して、辿り着いたその定義を読んだとき、不覚にも泣いてしまうのである。

自分の話15・アトランティスから見えたもの

「ライトワーカー」という言葉を検索してその定義を読んでもらうとわかると思うのだが、結構恥ずかしい。。どの面さげて…的な恥ずかしさだ。
でも初めてこの定義を読んだとき、涙が出てきてしまったのも事実だ。そして正直に言うと「うれしかった」。

私は思春期あたりから、学校へ行く途中の道なんかで時々自分がなぜ生きているのだろうと考えることがあった。

大学生くらいになると、おそらく生きる目的はシンプルで次の世代にバトンを渡すことだと思った。でもどんどん年を取っていく中で、それさえしないというかできない自分がなんか途方もなく「無駄」な人間のように感じることがあった。
だから自分が存在する意味を今の家族の中で欠かせない人になることで補おうとしたのだけれど、結局はそれでは満足はできなかった。
だから、この記憶を思い出したこと、そして「ライトワーカー」という何か特別な感じのする言葉に、「自分には使命があった!!」と自分の存在意義を感じたのは事実だ。

だから、まあいろんなことに夢中になるよね。これこそが!!って思った。だけどこの後いろんな学びがあってそこで本当のスピリチュアルの道に入って、失敗しながら、格闘しながら、そして去年の弟の死を迎え、その後の学びを経て、今はその地点は通り過ぎ、また別の視点に立っている。
その視点に立てたからこそ、今ようやく「エネルギーワークデビュー」ができたのだろうなとしみじみ思う。

アトランティスという文明は、今の人類のずっとずっと前に栄えた文明で、テクノロジーや人間が持っていた能力は今の人類とは比較にならないほど高い文明だった。
にもかかわらず、過去4度も滅亡している。
原因はテクノロジーの暴走とか、エネルギーの間違った使われ方とか、いろいろと挙げられていてそれはそんなんだろうなと思っている。

私も実際に持っている記憶は、この文明の最後の瞬間に自分が体験した時のことだけなので細かいことは分からないが、私は自分が所属した集団の失敗の原因としては、それはアトランティス全体と言ってもいいと思うが、極端な「使命感」があったと感じている。そしてその極端な使命感がどこから来たのかと言えば、もう完全に魂としての経験の浅さが原因だったと思っている。

アトランティスという能力が高く、高度な文明の中では「ネガティブ」というエネルギーの経験が浅かったのではないかと感じている。

つまり、「ネガティブ」な経験の浅さによって「恐怖」や「不安」、「怒り」などのエネルギーが持つ本当のところを掴めなかった。
そう言ったネガティブなものというのは光が持つ別の側面であるだけなのだ。

だから対立するものでも否定するものでもない。ましてや駆逐するものでもない。
じゃあ、「認めて悪のなされるがままになればいいのか」という話がでてくると思うが、この考えこそが私たちが長年盲目的に宇宙のことを知らないがために、勘違いしてきて生きることを難しくしていた原因なのだ。
そしてそれは、当時のアトランティスの人々が気が付けなかったことでもあると感じる。

この一見ジレンマに感じる「悪との共存」は、ただ相手を「認める」というそれをすること、そして同時に自分の生きる世界にそれを入れるかどうかを決める。これだけで実は解決する問題なのだと感じている。
相手を認めると、意識の力でその存在が生きる次元が出来上がる、そして自分はその次元ではなく別の次元で生きると決めると、おのずと2つの次元は穏やかに離れていくものなのだ。
そして両方の学びが多次元のなかで共存できるようになるのだ。

宇宙が求めているのは無限の「愛」だ。愛とはただそうあること、ただその存在をありのまま認めること、そうだとしたら、「使命感」は何かを正しいとしてそこを譲らず、他の考え方を受け入れない。それは「愛」の形とは程遠い。
私たちはただどんな現実、次元で自分の人生を生きたいかを決めて、その自分が生きたい現実にあったことを自分自身がすればいいだけの話なのだ。
思いやりあふれる世界に生きたいのなら、ひどいことをしている人をなじる前に自分の周りで自ら動いて思いやりを増やす。
宇宙やエネルギーの話が好きならその世界を読んだり書いたりして楽しむ。
そうやっているうちに、おのずと周りにそれと同じものを求める人や事象がやってきて、自然と自分が求める世界が出来上がってくる。

アトランティスの失敗の後、私たちはその課題に取り組むために、今度は今の人類として能力をとことん下げて、とことん落ちるとこまで落ちて、物事の両サイド、「する方・される方」「ポジティブ・ネガティブ」をこれでもかって経験し、「今」がある。そしてその両面を知っているからこそ、この宇宙が求める視点に立つことができる可能性のところまで来ている。

だから能力的には今でもアトランティスには及ばないが、魂は5次元に突入できるレベルにまで上がりつつあるのだ。

そんな感じだから、「ライトワーカー」の使命というのも、実は簡単で「人生を自分なりに楽しむ」ということが基本なのだ。
そうやって楽しんで自分が心からしたいことをする。そして人が「どういうことですか?」と聞いてくることがあればその話をする。これが基本スタンスなのだ。
2015年の5月、アトランティスの記憶を思い出し、「ライトワーカー」の言葉に涙している時点の私は、まだよくわかっていなかったな。だから、私のサポートチームは私が勇み足で「ライトワーク」しようとしたのを止めたのだ。あの時は「なんなんだ!?使命じゃないのか!!」と怒ったけど、今はよくわかります。サポートチームは本当に完璧…^^;

さて今回の回で、私がなぜ今こんなことになっているのかって話は一応終わりです。
次回からは、実際にこの道に進む中で体験したことや失敗したことなんかをあまり時系列に縛られずに「紹介」って形で書いていきたいなと思います。

最後に、だいぶ前に同じ「ライトワーカー」の意識を持つ友人に自分が「ライトワーカー」としてブループリントに沿っているのか、道を間違えていないかをガイドさんに聞いてほしいと頼まれ、私が聞きにいったときの会話を載せて終わります。

私:
○○さんはライトワーカーとしてちゃんと
道を歩いているのか気になっているようです。

ガイド:
ライトワーカーとして生きることは

そんなに難しいことではありません。

毎日をただ生きる、
それだけでもライトワークです。
ただ、それ以上何かしたいと望むのであれば、
自分がしたいと望むことをすることです。

私:
それは何ですか?

ガイド:
その事について我々が口を挟むことはできません。
何故ならしたいことというのは
自分の中から湧き上がることであり、

何かに導かれるものではないからです。

私:
ヒントはないですか?

ガイド:

もうすでに自分の中にあるものの中から見つけなさい。

「したい」と思うことをする。
とてもシンプルです。

ハイヤーセルフ編

意識の覚醒その後・ハイヤーセルフに出会うまで1

ハイヤーセルフに初めて会った時の話を、簡単に書こうか詳しく前振りから書こうか迷ったんだけど、簡単だとすぐ終わっちゃうし、前振りが結構大事かなと思うので、ちょっと長くなりますが分けて書こうと思います。

今週の「月曜のメッセージ」でスリスさんが言っていた「向こう側の高い意識の自分」とは「ハイヤーセルフ」のことだと思う。
私が、このハイヤーセルフに初めて会ったのは、何度か天使のセッションを受けて意識の覚醒を向かえた後のことだった。

でもこの時は、まだちゃんとチャネリングなどは習う前。
「チャネリングを習おう」と決めたものの、現実ではやることが多くて、まだその時間は取れなかった。

当時私は、いくつかの面白いスピリチュアル系のブログと、よく紹介する「ライトワーカー・ジャパン」の前身である「光の灯台」というサイトを夢中で読んでいた。
まあ、これについては現実逃避の色も濃かったと思う。仕事の作業で疲れたら、スマホでこれらのサイトを読んでいた。そうやって常に何かの情報を頭に入れるという作業をしないと、嫌なことばかり考えてしまうから。
でもこれらのサイトの情報のおかげで、いろんなことをこれまでとは別の視点で考えるようになった。それはおそらく先日書いていた「内観」に近かったと思う。

とにかく、自分に「なぜ?」を繰り返していた。

この時は今の自分の苦しみに繋がっている幾つかの過去世について考えていた。これまでいろんな過去世の存在を夢で見ていたが、この中に似たような経験を持つ5人の女性がとても気になっていた。
「なぜ私はいつも同じことを繰り返すのだろうか?なぜいつもいつも同じものを見ているのだろうか?」

こういうアプローチは、常識的な人からするとちょっと変な感じがするかもしれない。でも、この当時の私にはこれが新鮮なアプローチだった。「常識的なアプローチ」では答えが出せなかったから。
そしてチャネリングやリーディングを習い、スピリチュアルな世界を知っていくとこのアプローチの仕方は、アプローチする「タイミング」がとても大切だが、タイミングが合えば効果がある方法だというのも分かった。

当時のことを振り返ると、完全に無自覚でいろいろやっていたな~と思う。で、結果、その後行き過ぎて怖い思いしちゃったりするんだけど、その時は自分が何をしているのかわからないもんね。

夏前のある日、散歩中だった。

公園でいろんな色の花が付いている背が高く細い葉っぱのお花畑のような広い花壇の横を通り過ぎた。
その時ふと、「そうだ、お茶会をしてみよう!」と思った。
自分の過去世5人と自分の6人で、こういうお花畑でお茶会をしてみたら、それまでの「なぜ」の何かがわかるかもしれないと思ったのだ。もちろん妄想の世界で。
帰って寝っ転がって目を閉じて、お花畑をイメージしてみた。すると不思議なことに、お花畑の中心で、私が妄想する前にもう既に「いそいそ」とお茶の準備をしている人物がいる。
その人は私の5人の過去世の一人で、彼女が率先して準備をしてくれているのは、すごく「彼女っぽい」と思った。
(この時はすべて「妄想」のつもりだから全然気が付いていなかったけど、これも完全にリーディングしてる^^;)
そのまま見ていると他の5人が集まってきた。最後に私が加わる。過去世と言っても、それぞれがそれぞれのブループリントを持って生きていたわけだから、人格は全く違う。
その6人が、丸いテーブルについた。はじめはよそよそしかったが、次第に打ち解けて和やかな時間になった。ただ、「何かを話した」という感じは全くなかった。
そこには「言葉」というものが存在しなかった。あったのは「雰囲気」だけ。いい感じのお茶会になったな、みんな少しは馴染んだなっていうことが感じられただけだった。
なんとなく、もういいかと思い目を開けた。何も「答え」らしきものは発見できなかったが、なんか変な満足感があった。「答え」を求めてやったのだけど、「まあいいか…」となった。
過去世について、これ以上追求する気がなくなってしまい、この後このことは考えなくなった。
その代り、次の日変な映画を見てしまい、今度は「自分が本当に望むものは何なのか」を考えてしまうようになった。

今考えるとこの時考えていたのは、私だけではなく、お茶会をした5人も一緒だったと思う。
私たちは私が彼女たちの存在を知った瞬間から、ずっと一緒だったのだと思う。
「自分が本当に望むのは何なのか」これは私たちの共通の疑問だったのだ。
そして、その答えはふとした瞬間にハートにドカーンとやってきた。

この変な映画を見た日、私は自分にとっての久々の休日として、ちょっと忙しくてかまってやっていなかったワンコの世話をしまくった。爪を切ったり、歯ブラシをしたり、ブラッシングしたり。ワンコに声をかけまくってこねくり回した。
「あ~、大変だった」とその場を離れ、しばらくして戻ってきた時のソファーで寝ているワンコの顔を見た瞬間、ハートにものすごいあったかいものがグワーッとやってきた。
「ふにょ~」と幸せそうな顔して寝てるワンコを見た時、なんか、言葉にできない至福が胸にやってきた。そして、「これだ!」と思った。「これが私の幸せだ!!」って。

私は初めて、自分が求めているものが「形」でないことを知った。この後もいろいろともちろん紋々とするのを繰り返すのだが、この時が初めて、少しだけハイヤーセルフと繋がった瞬間だったのだと思う。
そしてこの日の次の日、私は初めて自分のハイヤーセルフに会うことになった。

意識の覚醒その後・ハイヤーセルフに出会うまで2

自分にとっての本当の幸せとは何か。そんなことを考えていたふとした瞬間に、それが今まであまりにも漠然としすぎて「形」にこだわっていたことに気が付いた次の日。
なんとなく、「幸せ」とはハートの部分で、「じわ~」っと感じるものであるっていうことが初めてちょっとだけ感じることができたせいか、またふと、「そうだ、お祈りしてみよう」と思った。それは神様や宇宙とかではなく、自分自身に対してやろうと思った。少し前から、効果があるのではないかと感じていたお祈り方法があって、それは気持ちと同時にビジョンを送るというやり方で、以前ちょっと紹介したことがある。

自分の話⑨ご覧ください

この同じ方法で、自分自身に癒しのビジョンを送ってみようと思ったのだ。自分が好きで落ち着ける風景をイメージしてみた。空、原っぱ、風。ふと、昨日見た星空もいいなと思ってイメージした。
気分を盛り上げるために、このブログでも何度か貼った「リベラ・彼方の光」を聞きながら。

この時に私の「空想の自分だけの世界」が出来上がった。この後、毎日のようにリベラを聞きながら、この空間に行くことが私の大切な「瞑想」時間となっていった。
ここからは、ちょっと理屈抜きにただ書いてみる。残しているメモ通りに。ちょっとだけお付き合いください。

曲を聴きながら風景をイメージし、そこに自分が立つと、今度は空を飛びたくなった。
だから、飛んでみた。一人でと思ったけど、何故か傍に小さな犬のような銀色に光る動物と鹿のようなこちらも銀色に光る動物がいた。私たちはふわっと飛び立って、星空の中を飛んで地球を一周し、また原っぱに戻った。
動物たちは消えて、私はアルプスの少女ハイジのように、その原っぱに寝そべってみた。空を見たかった。空はいつの間にか、星空から夕陽に変わっていた。

とても気持ちよくて、心が静かになっていた。そして、ただ空を見ていたんだけど、ふと左の目の端に先日のお茶会でせっせとお茶の用意をしてくれていた水色の服の女性がこちらにやってきた。
彼女は私の少し離れた場所に静かに座った。気が付くと他の4人も集まっていた。みんな私から少し離れた場所に座り、寝っ転がっている私を囲むように円になった。
先日よりずいぶん打ち解けていて、みんな笑っている。一番気おくれがちだった女の子も笑っている。みんなの笑顔が共鳴してどんどんうれしくなり幸せな気分になってくる。
すると一番ひねくれものだった中国人なのか日本人なのかっていうお姉さんがなんと着物を投げ出してくるくると走り出した。すごく楽しそうに。それを見たみんなの笑いがさらに大きくなって、なんとナタリーさんまで走り出して、二人はじゃれながら走り回りだした。水色の服の女性と女の子は本当に楽しそうに大笑い。

そうしたら、それを少々唖然と見ていた江戸時代の女の子が、突然、髪に挿していたかんざしを全部抜いたかと思うと、刀で髪をバッサリと切ってしまった。次の瞬間、その散切り髪がバババーと下からカットされショートカットになったかと思うと、重い着物が一瞬で軽やかな綿のワンピースになった。
彼女の解放感がすごかった。とにかく水色の服の女性も嬉しそうで、私もうれしくて、みんなで笑っていた。

現実の私は涙が止まらなかった。たったリベラ3分間の妄想。でもなぜか涙があふれてあふれて止まらなかった。しばらくして、落ち着いてきた。自分が何をしているのかはイマイチわからなかったけど、意味の分からない妄想なのに何かが解決し、開放されたように感じた。

自分のふとした思い付きが、こんなことになるなんて、ふしぎだな~と思いながら起き上がり、頭を現実に切り替えようとした。
起き上がって、「さて…」と思ったとたん、何故か頭の中に先程のつづきのようなシーンが浮かんだ。

あれ??と思った。もう妄想は終了したはず、でもこのイメージは何だろう。
考えないようにと他の作業に移ろうとしても、どうしてもそのワンカットが頭から離れない。
それは、先ほどの「私」を含めた6人を上から俯瞰している映像だった。私たちが気付いていない、7人目の私の視点。

それがハイヤーセルフだった。

意識の覚醒その後・ハイヤーセルフに出会うまで3

不思議な妄想を確かに打ち切ったのに、もう現実にちゃんと意識を戻しているのに、脳裏に浮かぶさっきの妄想のつづきのような映像はどうしても消えなかった。

先ほどの私たちを上から見下ろしているもう一人の視点。それが明らかに自分であることはわかった。
何だかとても気になってしまい、もう一度つづきを見てみようと思った。先ほどと同じ状態にしたかったので、またも「リベラ」を聞きながらやってみることにした。

寝っ転がって、目を閉じると、その脳裏から離れない場面からイメージが始まった。
私の視点は上空からまるで鳥のようにゆっくりと旋回しながら、下にいる原っぱで寝っ転がっている私と、それを囲むようにいる私の過去世5人を見下ろしていてそこに近づいていく。

地上の私たちは、上の存在に気が付き、不思議な顔をして全員がこちらを見上げていた。それまでのはじけるような喜びは一転して静寂になっていた。
まず水色の服の女性がこちらを見上げて立ち上がり、それに続くようにそれぞれが立ち上がりこちらを見上げ、上空にいる私一点に意識が向けられていった。
次の瞬間、私の意識は原っぱで上半身を起こし、上からやってくる光のかたまりを見ている自分に移った。
先ほどまで傍にいた過去世の女性たちは真っすぐに降りてくる光の方を向き、いつの間にか光になった。

5つの光はスーーーーっと上昇していき、上空の光のかたまりの中に吸い込まれていってしまった。

過去世たちの光と同化した不思議な光は私の3mくらい離れたところに降りてきた。

光がだんだんと弱まってきて、その姿は原っぱで寝っ転がっている私と全く同じ姿になった。
「私」と全く同じ姿だけど、そのもう一人の私はとても穏やかで、笑顔で、静かだった。同じ姿をしているのに、今の自分にはない何か大きなものを感じさせられた。
直観的に「ハイヤーセルフだ」と思った。何かで「ハイヤーセルフ」については読んでいたのでそのせいかもしれない。
彼女は笑顔のまま、静かに手を差し伸べて近づいてきた。
彼女は私の手を取って、空に舞い上がり、今度は先ほどの前半で巡った世界の風景を二人で見に行った。なんだろう、すごく幸せだった。絶対的な安心感。すごく静かで穏やかだった。
気が付くとまた元の原っぱに戻っていた。彼女は始めと同じ場所にいて、笑顔で手を振っている。

彼女が原っぱに降り立って、こちらに近づいてきた時、自分はハイヤーセルフと一緒になれるのかと期待した。

それはなんだかすごいことのような気がして、そうなるのを望んだんだけど、手を振る彼女の姿を見て、自分と一緒になってくれるのではないんだとわかって、悲しくなった。

彼女はまた行ってしまうんだ。そう思うと、どうしても引き留めたくなった。
そしてこう思った。「これは私の妄想だ!私のイメージの世界なら、どんなことでも思いのままのはず!」
私は、手を振っている彼女が私の元に来て私を抱きしめ光になって統合されるところをイメージしようと思った。

ぐうっと力を入れて集中しようとした。
この時、私は初めて、「イメージが思い通りにならない」ということを経験した。

私がリーディングで見ている「ビジョン」は現実の映像とは全然違う。どちらかというと「アニメ」にちかい。この辺りは人によると思うけど、私のは宮崎駿さんのアニメのタッチによく似ている。
宮崎監督の作品が好きだからかもしれない。場合によってはディズニーのアニメっぽくなったりもする(念のためですが、アニメマニアではありません^^;)。

この時も流れるように「ビジョン」を見ていたのに、自分の力でイメージを思い通りにしてやろうとハイヤーセルフと統合するイメージをしようとすると、なぜか洗面所で鏡の前に立って鏡の中の自分を見ている「実写」に切り替わってしまう。「いや、ちがうちがう!!」とやり直すんだけど、何度やっても、原っぱで手を振るハイヤーセルフのアニメタッチの画像から洗面所の実写に切り替わる。
何度かチャレンジしたが、どうしてもできなくて、不思議な気持ちでビジョンに戻った。そして「ハイヤーセルフとの統合」はあきらめた。
私があきらめるとその間ずっと手を振っていた彼女はまた光のかたまりになって空に帰っていった。

この間、リベラきっちり3分間。

これが初めてハイヤーセルフに会ったときの話。

ハイヤーセルフの圧倒的な穏やかさと安心感。自分なのに自分だとは思えなかった。でも確かにハイヤーセルフはいて、自分のことを向こうはよく知っている、じっと見ている、そんなことを感じる経験だった。

それまで、いろいろと「お祈り」とかいいながらイメージを膨らませていくことは、どこかで「自分の妄想」だと思っていた。
だからなんでも好きなことができた。空を飛んだりね。でもこのハイヤーセルフとの出会いで、初めて「妄想」できない部分があって、それはもしかしたら私の脳みそが作っている幻想じゃない場合もあるのかもしれないと感じる体験でもあった。

この経験とこの後経験する同じ原っぱでの出来事が、私を「イメージの世界」に夢中にさせてしまうことになる。

そんな話もまた次回。

注意:
ハイヤーセルフとの出会いや、この後の出来事は忘れられない感動的なことだったけど、このことによって、私の「知りたい」「体験したい」欲求がちょっと行き過ぎてこの後私はものすごい怖い思いをしたりするのです。
イメージの世界に入っていくことで、私の回路は開かれていき、ちょっと厄介な奴らが私の未熟な回路に入ってきてしまうようになったのです。
音楽を聴いて呼吸してリラックス。これはすごくいい。
ここまでは全然いいいいんだけど、例えば何かが一瞬見えた!!今のはなんだ!!すごい!なんだか知りたい!となって深入りしちゃうと「罠」の場合があり、ひっかかるとちょっとやっかいです。

こういう場合は絶対に見えたものに深入りしないでください。
もし、こういうことに興味を持たれる方は、是非ちゃんと習ってからやってくださいね。

私の失敗談「欲で墓穴を掘る私」は次回の記事でご紹介します。

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