2021・2・21 ルナが逝く
神戸で「7」の扉を開く。
そんな特別な日に、ルナが逝ってしまった。
直後よりも、神戸の会が終わって、火葬も終わった二日後から、ドカンとショックがやってきた。。
自分にとってルナがどんなに大切な存在だったのか痛感することになった。
私にとってルナとは自分でも気が付かなかったけど「生きがい」その言葉そのもの。
私はずっと自分のために生きていると思っていたけど、本当はそうじゃなかったんだ。
無条件に、どんな時も、どんな私であっても、ルナは変わらずそこにいて、そしていつも待ってくれていて、私を愛してくれて。
家に帰ればいつもルナはいる。仕事場から出たらいつもルナはリビングにいる。
いつも家から出る時に行ってきますを言って、帰りは家が見えてきたところからルナのことを考え始める。
当たり前すぎて気が付かなかったけど、ルナが私の生活の鼓動だったのだ。
私の18年とルナの18年は表と裏で一体だった。
私の裏として私を確かなものにしてくれていたルナがいなくなったら、表としての私は一体どうなるのだろう。
だからと言って体が思うように動かせなくなっていたルナを無理やり生かしたいわけでもなくて、運命を受け入れることはできたけど、「裏」が無くなってしまったら、「表」は生きていく理由がなくなって、でも死ぬまでは生きていかなきゃいけなくてという中で、たまらなく寂しくなって号泣するを繰り返していた。
27日の昨日はおばあちゃんの命日だった。
母がこの日に2016年に亡くなった弟のお墓参りがしたいと言い出した。弟に「ルナのことを報告したい」と。
弟の体が眠っている場所は「梅林」が有名な場所。
行くと梅はまだ蕾だったけど、静かに花を開いている木もあった。
ふと、「梅」という花が持つ役割のようなものを感じることになった。
長く暗く寒い冬。その冬の終わりと春を告げる梅の花。
ゴツゴツした硬そうな枝の内側から押し出されるように小さな赤い花が花開くその様は、
心の痛み、肉体の痛み、人の人生のあらゆる「痛み」を解体し、解放してくれるように感じた。
「7次元の植物たちの世界」その世界の痛みを担当する植物と梅はきっと繋がっているんだ。
そう感じた。
心の痛みと向き合って、たくさん泣いて、
そして自分は、何が欲しかったのだろうと思う。
本当は何が欲しかったのか、私には何が必要なのか。
心から渇望すること。何度も傷ついて傷ついて、自分の身体から何度も梅の花を押し広げ私が復活するのは何のためなのか。
私は、ルナのおかげで自分が本当に欲しているものにやっと気が付きました。
やっと。やっと。
「7」の意識で、必ずそれはクリエイトされる。
だから、前に進もうと思います。
ルナ、小さな私のワンちゃん。ねーちゃんの宝物。だーいすきだよ。だーいすき。
囁き続けた18年でした。
どんな時も、決してあきらめない、不屈の精神の持ち主でもありました😂
ありがとう。。るな。。

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